「まぼろしの蒔田城」 散策資料 (地図・写真)


―南区郷土の歴史研究会による「蒔田城址の周辺散策」のための資料―

(1)周辺地図ならびに坂と道の番号一覧

①大手門坂②城めぐり③辰巳門通り④巡察路⑤出城坂
⑥勝国寺坂⑦つづら折れ坂⑧大岡坂


『蒔田城址図』(『世田谷の中世城塞』世田谷区教育委員会1979年)
東側・蒔田町側を大手口、西側・大岡町口と南側・勝国寺側を搦手口としている。

(2)蒔田城址周辺散策の見どころ

地下鉄蒔田駅を起点とし、約2キロメートル。出発地点の蒔田駅に戻ります。

蒔田駅ー地下鉄搬入口ー百段坂ー大山ねずの命神示教会―西森稲荷神社ー

つづら折れ坂ー古民家点在ー空堀ー城廻りー出城跡ー国大工学部寮跡ー勝国寺ー

横浜英和学院(物見の松・天守台位置確認)ー蒔田の森公園ー無量寺ー蒔田駅




「蒔田駅」 
1972年12月16日横浜市営地下鉄開業第1号はこの地で搬入された


「百段坂」
1923年横浜市の協力により西口に150段の石段完成




「大山ねずの命神示教会」
品格ある街づくりが進む神示教会前の通り



「西森稲荷神社」
西方からの攻撃に対し岩肌にそそり立つ」守り神



「つづら折れ坂」
鎌倉道から城へ通じる唯一の道




「出城跡」  
平成初め頃までは段々畑として残されていた(往時の出城の地形)


「1930年代の出城坂風景」
標高50メートル(後方には旧国大寮、成美学園が見える。寮は成美学園、勝国寺、出城の中央部にあった)

  1956年地域住民と溶け合った寮祭ストーム風景


・昭和22年卒のある寮生の思い出(国大工学部50年史より)
岸ヶ谷の丘にあったつづら折れの坂道を上がると民家が絶えかなり広々とした畠を前にして、庭にはかなり古い桜が毎年春を告げていた。背後には成美女学校、畠を隔てて森木立にかこまれた寺があった。(注)大岡村あたりは嘗ては「岸ヶ谷」と呼ばれていた。50年史には民家を借りた第一寮は大岡町岸ヶ谷の山腹と記されている。
【前夜祭】10月28日午後4時一発の花火とともに1200名が青年隊を先頭にちょうちんをかざし大行進。学校正門より大岡町、関外、関内、県庁、商工会議所、市役所、横浜公園。
午後9時万歳三唱散会。
・歴史研究会会員のひとりごと
この短い文章の中にすべてが表現されている。毎日無意識に歩いている坂道をつづら折れ坂と詠っている。吉良の殿様も、さき姫様も、学院のミス・ハジスも皆歩いた坂道です。この横浜の南区に戦国時代に城があったということを地域の方々に知ってもらい、後世にも残るよう坂や道の愛称を考えました。大岡坂も昔はかなり急な幅30センチほどだった農道であり、今や車の行き交う立派な公道になっています。先人たちの努力にあらためて感謝します。


「勝国寺山門」吉良氏の菩提寺







「吉良家の供養塔」
政忠公をはじめ四基の五輪塔(勝国寺最高位の場所にあり出城坂に接している)






横浜英和学院正門が大手門であった。礼拝堂付近に本丸・天守閣があったと思われる。
(礼拝堂内のステンドグラスは日本人作成の最古の作品である)


往時の蒔田城の復元想像図
西ヶ谷恭弘氏『神奈川の城』より






吉良家の家老のひとり森家の表門(辰巳門跡)があったところ




「南龍山無量寺」1209年源頼朝の息子貞暁が開く(屋根の鬼瓦は桃山時代の作品)