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南区の歴史を研究および普及を目的とする

―蒔田・大岡の丘に眠る蒔田城址―
15~16世紀にかけ横浜市南区の蒔田・大岡の丘に蒔田城と
呼ばれた武蔵吉良家の館がありました。戦国時代には珍しく
100年余り平穏な生活を享受しております。菩提寺の勝国寺
には吉良政忠公をはじめとする四基の供養塔があり、今でも
参拝者が絶えません。また唐を囲むように三家老家の歴代
墓石が並んでおります。江戸時代、吉良家が上総に転封になると、
家臣団はそれぞれ土地を与えられ、すなわち農民となり、蒔田村
・大岡村の村役人を構成することになります。そうした皆さんの
子孫は数百年の歴史を大切にしながら、現在もこの蒔田城周辺
で日常生活を送られております。



➀ まずは蒔田城址の全景を航空写真で知ろう
かつて大岡・蒔田の丘にそびえた蒔田城址
・・・現在は青山学院横浜英和の校舎・校庭となっています。
中央部に校舎全景、左上部隅に大岡川を認識できます。


現在蒔田城址の遺構は地下に埋もれており発掘できません。歴史家の西ヶ谷恭広氏が推定復元図を遺してくれました。



復元図を参考に青山学院横浜英和の歴史部メンバーが模型を作ってくれました。  蒔田城周辺模型(青山学院横浜英和・歴史部制作)





























② 蒔田駅 スマホ片手に蒔田城址散策に出発‼
蒔田駅階段を上ると杉山神社前に、1972年の地下鉄開設記念碑を見ることができます。



1972年12月16日横浜市営地下鉄開業第1号はこの地で搬入。



鎌倉街道を横断し、裏街道(昔のかまくらみち)に出ましょう。

百段坂
1923年横浜市の事業により156段の百段坂が完成した。現在は青山学院横浜英和の生徒たちの通学路として、朝晩にぎわっている。



大山ねずの命神示教会付近)
品格ある街づくりとともに、斜面に連なる庭園は一見の価値がある。




西森稲荷神社
西方からの災厄を防ぐため岩肌にそそり立つ守り神です。









つづら折れの坂道
鎌倉道から城へ通じる唯一の道でした。




出城址
平成初め頃までくるわ址が段々畑として残されていた。
現在は住宅地化しているものの、往時の出城の地形は残されている。この農地を500年以上耕作している旧家が現存している。この地が徳川幕府の天領となった時、転封となった吉良家と深い関わりのあった家臣たちに、それぞれ土地が下げ渡されたのではないかと推測される。彼らは江戸時代、豪農として生計をたてるとともに、名主・百姓代など村役人として地域の取り纏め役の機能を担ったと思われる。


出城坂をくだれば城めぐり
大岡川を囲む七つの丘の彼方には丹沢山塊、さらに富士の霊峰を
見渡すことができる。本丸背後からはみなとみらいの高層ビル群が
一望できる。


青山学院横浜英和の正門に出る。
学院正門が大手門、礼拝堂付近が本丸・天守閣。



1880年アメリカ人宣教師ハリエット・ブリテンにより山手の丘に設立されたミッションスクール。1916年蒔田の丘に移転した。。




今も礼拝堂に残るステンドグラスは日本人制作による最古の作品の部類に属するものとされている。










勝国寺本堂







吉良家の供養塔

















吉良家の馬場谷であったところ
現在は蒔田の森公園



















無量寺
1209年源頼朝の息子貞暁が開いた。屋根の鬼瓦は安土桃山時代の作風。貞暁は側室の子供のため、鎌倉入りは身の安全野ため避け、当地で生涯を全うした。