「混迷」の時代に易経をひも解こう
2025年も残り少なくなりました。今年の南区郷土の歴史研究会は3月に『横浜に華ひらいた禅』、9月に『落語で地元の歴史を知ろう』と2回の発表会を実施いたしました。さて来年2026年のテーマはと考えたとき、海外・国内ともに行方の見えない「混迷」の二文字以外考えられませんでした。
このような時期こそ自己の立ち位置を明確にし、四位の状況に惑わされることのないよう努めることが肝心と感じました。中国5千年の歴史のなか、とくに戦国時代(BC.5世紀~BC221年)諸子百家といわれた思想家たちは、平和な世界を求めて論議を交わしました。儒教・孔子も中国経典「五経」の第一番目の易経を、常に手元に置いていたといわれております。
われわれ現代人もこの「混迷」の時代にこそ、5千年の時空を超えた先人の教えに触れることは大切です。来年3月の研究会では少しでも易経の流れに触れてみます。そして判断に迷ったとき、心を込めて筮竹を握りしめ、易占を行い、天に教えを乞うとともに、しっかりと自己の心に問いかけたいと思います。いかがでしょうか。(2025・9・13)
中国古代の思想家「墨子」の教え

先般ある本を読んだ。題名は『墨子よみがえるー非戦への奮闘努力のために』(平凡社ライブラリー)で著者は小生の尊敬する歴史家のひとり半藤一利氏(2021年1月没)であった。半藤先生の最後の言葉が「墨子を読みなさい」であったという。その中にいろいろ示唆に富む考え方が示されていた。あとがきを読んで再度驚いた。この内容は浜銀総合研究所発行の「ベストパートナー」に2010年1月号から6月号まで連載されたものであったという。当時の編集スタッフの慧眼に敬意を表する次第である。上の写真は銀座の個展会場でのもの、先生はその後1年有余で亡くなられた。
骨子は次の通りである。中国の戦国時代、今から2千数百年前七つの列強が覇権を求めて争っていた。なんとか戦いを回避しようと考えた思想家も数多く現れた。その中でも特色ある思想家、それが「墨子」であった。当時、孔子は儒教で「仁」を唱え、その中核は家族愛であった。これに対し墨子は「兼愛」を唱えた。兼とは「かねる」「あまねし」の意で、兼愛とは一切の人間を無差別に愛することである。
墨子によれば、孔子の仁は「別愛」であり、差別愛であって、この別愛からは平和どころかかえって争いが生まれるとする。 墨子の兼愛説から生まれた最も特色あるのは、その非戦論、とくに侵略戦争の否定論である。もっとも戦争を否定する傾向は、多少の程度の差はあっても諸子百家に共通して見られる傾向であるが、墨子ほど徹底したものは他に例を見ない。墨子は次のように言っている。もし世間で一人の人間を殺す者があれば、これを犯罪者として死刑にする。ところが一国の人々を攻めて皆殺しにすると、これは正義の行為として賞賛する。なんと不条理なことか。 およそ今の世の君主は、現有する領土に満足せず、これを拡張するために侵略の戦争をおこすものが多い。その犠牲となるのは罪なき民であり、その財産や生命を失うものは無数にのぼる。これは兼愛を欲する天の意志に反する、重大な罪悪であり、断じて許されることではない。このような見地から、墨子は戦争のもたらす惨禍と害毒を力説してやまない。
ただし墨子が否定するのは攻戦、すなわち侵略のための戦争に限る。また大国からの侵略を受けたときの防御の戦いは、むろん正当防衛であるから当然のこととする。それどころか、弱小国が強国の侵略を受けた場合には、その依頼を受けて防衛線に参加することさえ珍しくなかった。墨子は防衛戦の名人であったと言われ、墨子の集団が防衛にあたると、その防衛はすこぶる堅かったので、一般に堅く守ることを「墨守」と呼ぶようになったといわれる。